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Apollonia Paper Model Museum  
 
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ノウチラスという名は、ロバート・フルトンが1800年に考案した潜水艇がオリジナルです。
実は、ヴェルヌの創案ではないのですね。
フルトンは米国生まれの画家でしたが英国に渡って発明家となります。
英国は鉄と蒸気機関の時代。
従来の諸々が刷新される、いわば"文明の開化"に彼は濃く触発されたのでしょう。画家に飽きたらず、スティームパンカーとして活きだすのです。
フランスでも仕事をします。
ナポレオン率いるフランスとイギリスやロシアなどの連合軍の戦い、いわゆる"ナポレオン戦争"の頃、フランス政府に潜水艇のアイデアを売り込みました。
それがノウチラスなのです。

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ナポレオンの返答は、
「ノン」
売り込みは失敗して潜水艇は現実化せず、その後、彼は母国にてハドソン川に大型の外輪を持った蒸気船を就航させて名声を得ますが、潜水艇の夢は消えてはいなかったようです。
彼が1806年に描いた水彩画、いわば構想のバージョン3にあたる「Nautilus-3」を見るに、それは手動操作の小型艇で、今の眼で眺めると、いかにも"原典"といった風情ですが、ただの夢想ではなく、実際に戦争に活用出来るものとして考案されていました。
およそ50年後に、ヴェルヌはこの名をそのまま頂戴して「海底二万里」に使いました。

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そして…、「海底二万里」を書き出した翌年に彼は当時最大の大型船グレート・イースタン号に乗船して、米国に渡航しています。
4000人を運ぶ事が出来る大型船での、この居心地のよい旅は強く印象づけられ、移動する居住空間としてのノウチラスへのヒントとなったでしょう。

  ※ ヴェルヌは『海底二万里』を出版した2年後には、同船を題材に「浮かべる都市」も書いています。

  ※ グレート・イースタン号は大西洋海底電線の敷設に使われて一挙に有名になりましたが、あまりに巨大がゆえに逆に客船としての需要がありませんでした。
ヴェルヌが米国に旅したのは、フランス政府が同国での万国博覧会の顧客誘致としてチャーターしての、ただの1回こっきりでの客船としての活用時でした。
その後は10年以上繋留されたままでさほどに使われず、結局、1889年に英国で解体されました。(もったいないなぁ)

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面白い偶然もあったもので、このグレート・イースタン号内で、大西洋横断海底電線を敷いたサイラス・フィールドにヴェルヌは遭遇します。

サイラスはニューヨークに住まいを持つ実業家で、英国政府の肝いりでケーブル敷設の事業を担います。
このケーブル敷設のために作られた会社の副会長は電信でお馴染みのモールス。

ヴェルヌは船旅の間、サイラスに海底の様子や最新の海洋科学などなど、あれこれを聞くチャンスを得ました。
これは『海底二万里』の第2部後半でグレート・イースタン号の名と共に小説中にキチリと登場してきます。


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ヴェルヌが船旅したこの年、スウェーデンではアルフレッド・ノーベルがダイナマイトを発明していますが、米国はまだ南北戦争のさなか。
奴隷制の廃止を前面に掲げたリンカーン率いる北軍の勝利に傾きつつありました。
おそらく、この旅でヴェルヌはハンリーを知ったと思えます。

ハンリー(Hunley)は実用化された最初の潜水艦です。
南軍に所属。
製作指揮は弁護士で大規模な綿花農場に株投資をしていたH・L・ハンリー。
彼は自身で設計した潜水艇の試運転中、1863年10月15日、チャールストン湾で沈没し40歳の生涯を閉じますが、潜水艇のプランは続行され、それが実用としてのハンリー号になります。
かつてフルトンが考えたもの同様に手動で水中を移動します。
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乗員8名。
指揮官以外の7人は船内に一列に横に並んでしゃがみ込み(元より立つコトの出来ない狭さ)、手元のクランクを廻し続けます。
それでスクリューが廻ります。
指揮官は船体の中央に突起した窓から外界を見つつ、舵を操作します。
艦内の照明はロウソク。
ハンリー号の前部には長いバーが付けられ、その先端に爆雷がついています。
敵船にこれを刺して直ぐに後退。
まもなく爆雷が破裂して相手をやっつけるというのが構想。
1864年。設計者H・L・ハンリーが没した翌年、ハンリー号はサウスカロライナ州のチャールストン沖合に出向き、北軍艦船のフーサトニック号を撃沈します。
しかし、直後に航行不能となって沈潜。
爆雷破裂の衝撃にたえられなかったのでしょう。
その行方はながく不明となりました。
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1867年に渡米したヴェルヌがこの情報を得たという証拠はありませんが…、おそらく、何らかのカタチでもって彼はこれを知り…、「海底二万里」の構想に付与させたであろうと考えられます。想像の跳躍の材料として…。

ちなみにハンリー号は1995年に発見され、2000年に引き揚げられて後、ノースチャールトンのクレムゾン大学ウォーレンラッシュ保存センターにて復元と保存の作業が実施され、2012年の1月に一般公開されました。
現実のハンリーは圧倒的に小さく、前記の通り船内照明もロウソクのみ。身動きもつかない狭い艦内でただ懸命にクランクを廻さねばならなかった乗員を思うと、まさに悲劇です…。
が、ヴェルヌは、その悲劇もさる事ながら、潜水艦の持つ可能性により着目したのだとは思います。

  ※ 写真は引き揚げ直後のハンリーと見学者たち
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上記のような… こういった偶然の重ね合わせをヴェルヌは見事に1本の作品に紡ぎあげるワケです。
フランスから米国に旅した豪奢な客船グレート・イースタン号とハンリー潜水艇とを結んで大型の潜水艦へと昇進させ、かつ手動ではなく、当時の先端の知識であった電気(蓄電池)を用いての駆動推力を組み込んで…。

"結実"とは、よく云ったものです。
近年で、こういった紡ぎ合わせでもって"結実"の成果を実に見事にみせてくれたのが… アップルのスティーブン・ジョブスでしたけれど、なかなか… 出来るコトではありますまい。
いわばヴェルヌやジョブスは卓越の縫製力を持った才人であったと… 感嘆させられるのです。
と… それにしても… この2枚の写真、似てますね、醸される雰囲気が。
時空を越えて、もしもこの2人が対談したなら… 一体どういった話で盛り上がったり盛り下がったりするのかしら? いささか興味をおぼえるトコロです。
もちろん、それ以前に、ウマもあわずソリもあわず… ということも考えられますけども。